ひとりで泣くのは得意
だんだんと上手になったひとりで泣くこと。
未だに隠しきれずに人前で泣くこともあるけど、前よりは減ったかなあ。
結局はわたしの味方はわたしだけだから。
人に頼ることは悪善あるけれど、すべてを委ねることはできないから。
最後は自分だけ。わたしが味方にならなきゃ。
人前で泣くことって弱いことだと思っていた。
だけど、そうじゃないのかもしれない。
裏切りを感じたり信頼が壊れたりすると、人前でも泣けなくなる。
つまり、甘えもあったということ。
人前で泣いている自分が好きでなかったけれど、もう相談する相手がいない今の自分は行き先が分からなく、ただただ怖い。
だからひとりで泣くんだね。
それだけが上手になっていっているよね。
毎年12月は崩れ落ちている気がします。
カレンダーを見ると思い出すの、あのときの光景を。
今年もそれに引っ張られましたね。
だけどいいの、それがわたしだから。
ひとりで泣くこともわたしにとっては大切。
そんな自分を肯定してあげたい。
辞めなかった①
辞めなかった。仕事を。
いや、まだ辞めるかもしれない。
だけどこんなわたしにも引き留めてくれる人がいたわけです。
男性恐怖が最近増していて、仕事に支障が出始めていた。上司は男性、事前に事情は話していたけれど、多分、そこまでとは思っていない。一応気にはしてくれているみたいで、面談の度にわたしの表面上だけを見て「成長しているね」と。それがプレッシャーでもあり、もう言い出せなくなっていた。
上司にも相談できない、だけどこれ以上男性恐怖を悪化させたくない、もう壊れた自分になりたくない。
ああ、辞めるしかない。
確かに、そう思った。辞めずに済むならそれがいいのだけれど。
ただ辞める選択肢しかなかった。わたしにとって男性恐怖が良くも悪くも中心であり、それが理解されるところでしか働けない。このことで今まで傷ついてきたのに、これ以上傷つきたくない。理解してくれとは思ってないが、否定しないでほしい。ただそれだけ。
男性恐怖症、と医師に言われても自分の口からそれを語ることはできなくて。男性が苦手という表現しかできなくて。語弊があると分かっていながらもそんなふうにしか言えず、捻れて伝わってお互いに良い結果にはならない。
もう苦しくて息ができなくなってきた頃、初めて同僚のお姉さん(Aさん)に打ち明けた。なんとなく、分かってくれると思ったから。
自分の思う通りにはいかない人間関係
人間関係って難しいですね。
だけどそう難しくさせている要因のひとつにわたしの傲慢さがある。彼女を誰にも取られたくない、自分だけに優しくしてほしい。
他人に優しくしているところをみると、自分が直接影響を受けたわけではないのに悲観的になってしまう。
いっそのことみなければ良かったって、わたしの知らないところでしてくれって。
他の人にも優しいって、彼女の長所なのにね。わたしだけでなく、他の人も救ってる。良いことで、悪いことはひとつもない。それなのに嫉妬してしまうわたしは心が狭いのだろうか。どうして素直に良い部分として受け取れないのか。
その理由のひとつに、自信のなさがある。自分と彼女の関係より、他の人と彼女の関係の方が深いと思ってしまう。自分の人間性の低さから他の人の方が彼女に相応しいと思ってしまう。
本当はわたしがいくら考えても無駄な部分。彼女の気持ちなんて彼女にしか分からないから。なのにどうしてわたしは落ち込んでしまうのだろう。
いっそのこと他の人に譲った方が楽なのに、諦めた方が楽なのに、苦しむと分かっているのにどうしてそれができないのだろう。
人間関係なんて人それぞれ違って比べるものでもないのに、どうして比べてしまうのだろう。
何故わたしは頭では理解しているのに感情を切り離して考えることができないんだろう。
頭の中を整理したつもりでもごちゃごちゃしている。こんなに人との関わりに自信がなくて、自分の嫌な部分にしか目がいかなくて、嫌になってしまう。
考えるのもうんざり。
世界で一番美しい少年
絶対にみたかった映画。
叶うなら映画館で集中してみたかった映画。
先日、無事にみることができました。
ビョルンの人生を少しでも知ることができて良かった。
所有物にされたのに、老けただの侮辱することは言葉の暴力。それをジョークとして周りに言って良いわけがない。
オーディションの映像でも上半身裸になれって逆らえない雰囲気でならざるを得なかった。
愛されなかったから、愛し方が分からない。
そのことによって、より苦しむ。
大人なのに小さい子どものように感じてしまうのは、その部分を育ててもらえなかったから。そのまま子どものときと変わらないまま大人になったから。
何も考えないでみると、駄目な大人になったなと見えるかもしれない。そうかもしれないが、そうだとしたら精神疾患も絡んでくると思う。鬱での思考力の低下など。
いろいろあったけど、彼が生きていてまた映画に出てくれたことが嬉しい。
アッシュ
BANANA FISH をみた。
アッシュのトラウマに触れたとき
自分のこともいろいろと考えてしまった。
いま、落ち着かない。心が痛い。
これからのことが不安になっていく。
わたしが何かしたわけじゃないのに。
人のそのような姿をみるだけで
こんなに感じるようになっていたなんて。
アッシュの苦しみを考えれば考えるほど
わたしも苦しくなっていく。
だけどわたしと違って彼はつよい。
わたしは逃げてばっかり。
彼がフラッシュバックにより
現在も苦しんでいるのに
それを分かっていて
フラッシュバックがおこるようなことを
する人がいることにぞっとする。
そして彼が逃げてばかりではないのは
それを逆手にとることもできること。
ああ、強いな。本当に。
まだ考察できるほど
作品に触れられていないのでこの辺で。
だけど良くも悪くも心を抉られた。
今はまだ平常心を取り戻せていなくて
自分も苦しくなってしまったけど
今後きっと彼の存在に救われるときが
来ると信じて。